見たいなぁ。こういうの。もうやってるな。たまには行ってこようかな。
カナダの鬼才アトム・エゴヤン監督がジュリアン・ムーア&リーアム・ニーソン主演で放つ禁断の愛の物語『クロエ』(5月28日公開)。夫を試すため、若く美しい娼婦を雇ったことから平和な日常を脅かされる主婦とその家族の姿が描かれる本作で、アマンダ・サイフリッド扮する娼婦クロエに誘惑される大学教授のデビットを演じたリーアム・ニーソンに話を聞いた。
アダルト動画にもなるかな。
――脚本を読んだ第一印象はどうでしたか?
「『アメリカ人は作らない映画だ。とても官能的だ。サスペンススリラーの要素もあり、危険な領域を描いている』と思ったよ。性の危険を描いている。こういう映画は見たことがないと思う。極限まで人物たちがゲームしあう構造で、その中に素晴らしいサスペンススリラーの要素が織り込まれ、観客の想像を喚起し続ける。この映画のようなテーマを巧く操れる監督は少ない。アトム・エゴヤンならぴったりだとわかっていたよ。そして彼はユニークで特別な方法で創り上げた。しかも脚本の中にある要素全てを取りこぼすことなく、僕をぞっとさせてくれたんだ」
――舞台でアトム・エゴヤン監督とは仕事をされたことがありますね
「そうだよ。二週間、リンカーン・センターで上演されたベケット作『Eh,Joe!』という作品で組んだ。アトムが演出してくれたんだ。とてもユニークな作品で、アトムは素晴らしいと思った。指導力のある、非常に知的で、明るく、愉快な人だということがわかった。素晴らしいユーモアのセンスの持ち主だ。僕はこの脚本を前に読んでいたが、僕たちで『Eh,Joe!』をやっている時に『一緒にこれをやろう』と彼に言ったんだ」
――監督の映画はよくご存知でしたか?
「いつも彼の声のユニークさに驚いていた。彼の映画の声にね。大雑把に言うと、これまでにどの監督も踏み込んだことのないやり方で物静かな詩を鳴り響かせ、観客を感動させる。とてもユニークな声の持ち主だ。彼の『Adoration』(08、日本未公開)を見たばかりだが、奥深い。実に美しい映画で、終わってほしくないと思ったよ」
――デヴィッド役をどのように思い描きましたか?
「愛すべき父親であり夫であり、仕事を神聖にとらえている。彼はモーツァルトのオペラを専門とする音楽の教授なんだ。教師であることに誇りをもっている。監督ともあまり深い分析はしなかった。それぞれのシーンをあるがままの真実で演じ、作り込んで演じることはしたくないと話した。シンプルに、リアルに、観客に信じてもらえるように演じようとしたんだ」
――キャサリンが空想の世界をクロエの周りで作っているのか、あるいはクロエがキャサリンの家族に幻想を抱いているのか、どちらでしょう?
「クロエは明らかに幻想を抱いている。彼女はそういうふうに生きているからね。でもキャサリンが非常にユニークな方法でそこに付け加えているんだ。そして追いつ追われつのゲームが続いていく。監督はふたりが見ている視点を観客の視点に重ね合わせたいと考えた。観客は“この道”を進んでいるように思うが、じつは監督は“こちら”から“あちらの道”へと観客を誘っているんだ」
――アマンダやジュリアとの共演はいかがでしたか?
「3人はとても気が合う。俳優としての我々の間には素晴らしい力学があった。我々は互いを好きだし、誰かを信頼できると別の道が探求できるくらい深みや高みや底辺へと降りていくことができる。共演者を信頼しているからね。若い女優だがアマンダは素晴らしいし、稀有な才能の持ち主だ。生き生きとしている。とても快活な女性だが、カメラが回るとそれがもっと生き生きしてくる。とても良い女優だよ」
――本作には性的なシーンがたくさんありますが、監督からどのような助言がありましたか?
「僕の大きなお尻と大きな太ももを映していないとわかれば、それで良いよ。それがわかれば僕は快適になれる。アマンダと僕はトロントのアラン庭園で性的な関係を持つ。監督は僕らの肉体的な動きをとてもシンプルに巧く撮影してくれた。だからアマンダも僕も恥ずかしくはなかった。でもそれはとても官能的で情熱的なシーンになっているよ」
本作では様々な官能シーンが登場し、レイティングもR15+だが、当然ながらそれが全てではない。物語は前半と後半で大きく変わり、後半になればなるほどサスペンス色が強まっていく。さながら『氷の微笑』(92)を思わせるようなシチュエーションさえ登場する。ジュリアン・ムーア、アマンダ・サイフリッド、そしてリーアム・ニーソン。三者が見せる心理面に注目して見れば、本作はいっそう楽しめるのではないだろうか